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昔話。 [ツブヤキ]

本館の日記に書いたかもしれないので、思い出したんだけどこっちに書いとこうと思います。
mixiの方にも乗せるかもしれないけど。

高校2年の冬。
私は当時の担任によって医学部は望みがないといわれました。
例え1,2年勉強したとしても、見込みはないだろうと。

その理由の1つが、私が生物学的性別分類の女性であるからでした。

あの進路指導の帰りの日に初めて、大切な人たちの前で壮大に落ち込みました。
――静かに泣いていました。彼女たちがそれに気づいていたかはわかりませんが。
くやしくて。ただかなしくて。
学力がないことは自分の責任だからどうにかなるにしても、性別はどうにもできない事柄ですから。
担任の話す理由には頷けました。
でも突きつけられたものに対抗できる刃はおろか、盾も、策も…足場さえ、私にはなかったんです。
看護学部なら推薦状だって書く、と言ってくれた担任には申し訳なかったけれども、私には医学部しかなくて。いまなら絶対女が求められてる場所だって言い張って、実力もつけて、迷わないで突進してくのだけれども、そのときには高校に進学した理由さえも奪われてそれまで過ごした時間もなにもかもを否定されたような気がしてて。

私はその日から からっぽになったのです。

覇気がなくなって。勉強もどんどん遅れて。
ただ日々を流すように暮らして。
周囲が進路云々を言い始めても、私にはまるっきり遠い世界の話にしか思えなくて。
(だから最後まで国公立理系クラスにいたんですよ)
本当は悲しかった。
みんなが将来の夢を、大学の話を、模試に書いた志望校の話をするたびに、胸が痛かった。
私は独り、そんなあたりまえのことができずにいたから。
理由をこじつけて、医学部を見ないようにしてたから。

志望していない学校に対して志望理由を書かざるを得ない苦痛とか。
どんな大学であれ金銭的な余裕がないから受けなかったセンター試験に対する後悔とか。
今でも覚えてる。
高校3年の1年間は、専門学校時代の1年間に次ぐ精神状態暗黒期だった。
――でもその時期に。そんな時期だったから。
私は彼女とのことを覚えている。

彼女――便宜上、Nさんと呼ばせてもらいますが。
彼女とは学園祭の実行委員部門長仲間でして。つまりすこぶる仲がいいわけではなく、顔知ってて話すのに困る共通の話題がないというわけではない程度な感じの間柄でした。
そんなNさんに、あるHR直後の放課後、廊下で出会いました。
疲れた表情の彼女に思わず声をかけたんです。
そうしたら彼女は廊下の真ん中であるにもかかわらず、私にすがりつくようにして泣き出してしまいました。
いくら私の学校が1500人前後/学年の絶対少子化なんて嘘だと騒ぎたくなるような人の多いところでも、廊下の真ん中で泣き出すなんて尋常じゃありません。
つーか目立つ。気になる。
ので廊下の脇にNさんをそっと連れて行って、事情を聞いてみました。
曰く、『クラスが上がるどころか落ちちゃった』と。
習熟度別の宿命です、上位数名は上のクラスへ・反対に下位は下のクラスへってのは。
これで一喜一憂したものです。
が、彼女はそのとき、クラスを上げたくてかなりの努力を積んだそうで。
それでも努力が不幸にも発揮できなかったのか裏目に出たのか全体的に難易度が低かったりしたのか、クラス維持できなかったと。

『あんなにがんばったのに』
『なにがいけなかったんだろう』

泣きながら呟く彼女に、私は言葉がかけられませんでした。
だってそれは、私だって同じ。
まぁ私の場合は “空に浮かぶ星に手を伸ばしてみたものの、掴むどころか見失ってしまった” んですがね。
Nさんが努力家なのは知ってるし、彼女がそういうからには相当頑張っていてそれなりに自信もあったのでしょう。ただその受験期に頑張らない人間は(ほとんど)いないわけで、周囲もそれ相応に努力して力を伸ばしてきているという感じ――というのが一番妥当な考え方です。
だからクラスなどいまさら気にする必要はないんだ。
君が望む大学に進めるよう、頑張ればいいだけの話だ。
そういうつもりで、話を聞いていました。
でも彼女の涙が自然と止まるまでは、私が壁になっていようと思いました。
大人になったらちょっとやそっとじゃ泣けなくなります。なら泣けるうちに泣いてしまえ、というのが持論なので。
だから私は、彼女にちょっとの意見と、すがる時間とを提供したに過ぎません。本当にそれ以外は何もしていないのです。

けれど彼女は別れる間際。
私がいてくれてよかった、と言ってくれたんです。
私がいて、話を聞いてくれたから、落ち着けたと。

きっとNさんにとってそれは単なる通過点なのでしょうが、私にとっては分岐点を出現させるフラグでした。

私というほんのちっぽけな存在を肯定してくれて、それに価値をくれて、目の前に掲示してくれた。
もしくは“私”が生きていることを赦してくれたように思えたのです。
死にたくなったらその前に説得しに会いに来るからひきこもれと言った誰かさんの台詞くらいに救われました。

あれからもう3年は経つんですね。

思い出したら少しだけ元気になってきました。
さぁて今日も頑張るぞー。


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Hatchori

これはまたひどい先生に当たりましたね。
私の母校である公立高校は、進学校と呼ばれていたからかもしれませんが、基本的に本人の意思を尊重して「行け行けどんどん」な感じでした。
先生に「受けたい」と言えばD判定、よくてもC判定な無理っぽいところでも、「受けずに後悔するくらいなら、受けて全力を尽くしてみろ。それでもだめだったらそれはしょうがないよ」と、背中を押す方針のようです(浪人覚悟で、ですが)。1年間では無理でも2年間本気でやればなんとかなるもの、ということらしいです。
実際に医学部に行った女の子もいましたので、はじめから受けさせないで可能性の芽をつみ取ってしまうのは指導方針として問題があるような気がします。

Nさんの話を読んで、数学の先生に質問している途中で泣いてしまったのを思い出しました。私は理系なのに数学が苦手で、二次試験の問題が一向に解けなくてこれじゃ絶対落ちる…って思ったら、つい。そのときは先生がなだめてくれて落ち着きを取り戻しました。挫けそうな時に、支えなくても良いからとりあえず話を聞いて受け止めてくれる人がいれば案外持ちこたえられるのかもしれませんね。
by Hatchori (2006-04-18 21:31) 

kazura_plusxxx

母校高校の先生も、背中を押してくれる先生と、比較的保守的というか堅実な感じの指導の先生がいらっしゃいました。たぶん元担任が思うに、「もっと別の道がある」と思う子だったんでしょうね私は。(苦笑)。
でもその経験のおかげで、今は別の方面に歩けています。医師を目指すことに未練がないわけではないのですが、医師とは別の、でも似た方面の専門家で、いま私が心から目指したいものがそれなので、くじけてしまった私もきっと栄養になると思っているのです。へへへ。

受け止めてくれる人がいる、ということはやっぱり力になりますね。
頑張ってそんな人になりますですv
by kazura_plusxxx (2006-05-09 22:33) 

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